線香花火(SS)

「兄ちゃん、あまってるのいっしょにやらない?」
風呂の後、部屋に戻ろうとした僕に二つ下の弟の真治が声をかけてきた。
手には一袋の線香花火。夏休みに友達とキャンプに持って行った残りでも出てきたのか。
「いいけど。すぐ終わるんじゃないの」
「すぐ終わるからきてほしいんだって」
真治はにこりともせずに踵を返し、居間のベランダを開けると乱暴にサンダルを履いて庭へ出た。
僕はゆっくりと後を追う。

「……寒い」
十月の夜の空気は思うより冷たく、風呂上がりで火照った体は一気に冷たくなった。思わず身震いする。
真治は仏壇から拝借したらしい蝋燭に火を点し、ベランダの隅にあった鉢植えの受け皿に立てた。
その横顔がゆらゆらと橙色に照らされるのを、僕はぼんやりと眺めていた。
「なかなかつかないなあ」
ぼやきながら先に炎を当てるが、真治の持っている線香花火は一向に点火しない。
だんだん燃えて短くなっている気がする。
「湿気ったんじゃないの。夏のうちにやらないから」
「つくから兄ちゃんはだまってて」
こちらを見る事もなくぴしゃりと言われてしまった。自分でよんだくせに怒るなんて。
そんな事を言うなら一人でやればいいのに。そう喉元から出そうになった矢先、花火に火がついた。
「ほら。湿気てなかった」
真治が笑ってはじめて僕を見た。小さな灯りが頬を照らしている。
彼はすぐに花火に視線を戻すと、ゆっくりと口を開いた。
「オレさあ、東京の大学に行こうかなって」
東京。それは今住んでいる街からは到底通えない場所だ。
「何。ひとり暮らしなんてオマエにできるの」
「だってここにいたらオレ、ずっと兄ちゃんに甘えちゃうじゃん」
ぱちぱちと小さくはじける炎を見つめながら、小さく呟くように真治が言う。
「……兄ちゃん優しいから、オレの事拒否できないしさ」
僕は口を開く事ができずに、彼の手元をずっと眺めていることしかできなかった。
程なくちりちりとした炎は丸くなって地面へ落ちた。
「……結構長く続いたじゃん」
何か言わなくては、とどうでもいい事が口をついて出る。どう言えば正解なのか。
僕は真治へかける言葉を考えあぐねていた。落ちた花火から真治へ目を向けると、
彼は瞬きもせずにぽたぽたと涙を零していた。
「……なに泣いてんの……」
「……今の花火落ちたら、もう兄ちゃんの事好きだって思うのやめようって……決めてたのに」
落ちた涙が地面に吸い込まれていく。
「やっぱ、無理。無理だよ」
風の音に負けそうなか細い声。思わず抱きしめたくなるが誰だってそう思うだろう。
僕は伸ばしかけた手をそっと下ろして平静を装う。笑い話にすればいい。
「ばっかだなー。そんなんで東京行けんのかよ」
笑い飛ばそうとしたのに変に声が上擦ってしまう。こんな事では動揺してるのを見抜かれてしまう。
僕は慌ててそっぽを向いた。
「行きたいわけないじゃん、東京なんて」
背中越しにさっきまでのか細い声とは打って変わった、いつもの真治の声がきこえてくる。
「だって強制的に離れないと、オレずっと兄ちゃん大好きなままじゃん!ぶっちゃけ超つらい!」
「バカ、声がでかい。近所にオレはブラコンですって宣言すんな」
僕は慌てて真治を制止する。静かな住宅街だ。
近隣の誰かが窓を開けていたら聞こえていたかもしれない。もう高校二年だというのに真治はいつもこうだ。
小さい頃からこれだから、慣れ親しんだ近所の住民にはブラコンの事など今さらかもしれない。
「みんなが彼女だ出会いだコンパだの盛り上がってるのに、ただただ兄ちゃんが好きで、
でもつきあうとかできないのマジつらい」
「……じゃあやめりゃいいのに。いくらでも可愛い女子いんじゃん。
あ、裏通りのアキちゃんがオマエに彼女いるか聞いてきたけど、あの子オマエの事好きなんじゃねえの」
「意地悪いな!兄ちゃんがつきあってくれないと意味ないんだって!」
「開き直ったな……」
僕は短くため息をつく。どうしようもない弟だ。相当いかれてると思う。
どう考えてもごく普通の、どちらかというと地味な実兄より、可愛い女子の方がいいに決まってる。
僕だってそうだ。可愛い女の子が告白してきたら万歳して交際する。まあそんな事今まで一度もないのだけれど。
こんな事を考えてる僕が、優しいわけがない。このネジのゆるんだ弟はいつそれに気が付くのだろう。
「行きたくないならなんで東京行くとか言うんだ」
「だってここにいてもずっとつらいじゃん。ずっと好きなのにずっと同じ家に住んでるのにどうにもなんないし」
「どうにかなると思うのがおかしい」
できるだけ平静を装う。動揺していけない。人に好きだと思われるのは悪くない。むしろ嬉しい。
僕だって、好きになってしまうのは仕方のない事だ。
「……ただ、オマエが東京に行くのは想像したらちょっと寂しかった」
出血大サービスだ。真治の表情に一瞬でぱあっと光が差し、僕はぎゅうぎゅうと骨がきしみそうな程抱きしめられた。
「絶対行かないから!東京どころか隣町にも行かない!」
「やめんの早いな!じゃあオレが出てくわ……」
「じゃあついてくし」
「……さっきの決意はなんだったんだよ」
いつの間にかろうそくの炎は消えていて、街灯の明かりだけがほんのり辺りを照らしている。
「兄ちゃん、髪濡れてる。乾かさないと風邪ひく」
真治が僕の髪を撫でた。
「誰のせいだと思ってるんだ」
呆れるように睨んでみるが、なぜか湯冷めしたはずの体がとても熱かった。それも目の前のこいつのせいだ。
「オレが拭いてあげる髪。家入ろ」
言うや否や、もうベランダから居間へ戻っている。ちょどいい。
今顔を見られたらどんなに真治が鈍感でも気付かれてしまうかもしれないから。
僕も、オマエが好きだって。

 

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J庭41ペーパーでした。
ほんのりSS書くのは好きです