宝石店勤務女子(SS)

 

「ねえ、この間誕生日のご褒美って買った指輪、どうしてつけないの?」
閉店間際の小さな宝石店で終了時間を知らせる音声を流しながら、千葉沙彩は同僚の望月真衣の手元に視線を落とした。
誰もいない店内にすうっと沙彩の声が響き、驚いたように沙彩を見据える真衣の表情に、聞いてはいけない事だったのかと緊張が走る。
「あ、別につけろって言ってるんじゃないの。私なら買ったばかりのなんて嬉しくて毎日つけちゃうから……」
我ながら誤魔化すような言い訳だ。思わず真衣から視線を反らす。
「笑わないでくださいね、わたし今までアクセサリーとかつけた事ないんです」
「えっ!?」
真衣から飛び出した意外な言葉。一緒に働いて三年、思い返してみると確かに真衣が同世代の女の子達のようにアクセサリーをキラキラさせていた覚えはなかった。
「でも今まで何度か買ってたよね?」
「はい。自分にご褒美って事で」
真衣はバツが悪そうに笑いながら、耳元の髪をくるくるといじっている。
「別にアクセサリー禁止じゃないのに。つけていいんだよ?」
「うーん……実はですね……」
「うん」
「わたし、初めにつけるのは好きな人からもらった物にしようって決めてるんです」
意を決したように一気に言葉を押し出すと、真衣は急に「ああ」と赤い顔を覆う。沙彩はますます驚いて日誌を書く手を止め真衣を覗き込んだ。
「ああ、すみません!もらった物なんて言い方……もらうの前提でなんてやらしいですよね」
「好きな人かあー、いいなあ若くて」
もうすぐ三十四になろういう沙彩は、また日誌に視線を落とし手をすすめる。若くて羨ましいのは本当だった。
新卒でこの会社に入った真衣は三年目だから今年で二十五だろうか。それはアクセサリーで飾る必要のない若さだった。
「問題は好きな人がいないって事なんですよね。あ、もう八時ですよ。シャッター下ろしますね」
真衣は閉店の音楽のスイッチを切ると、シャッターを下ろし始めた。沙彩は書き終えた日誌を閉じレジを締めていく。何事もない日常は昨日と同じだった。
ただひとつ変わった事は、この眩しいくらいの彼女に好きな人がいないという事だけだ。
音楽のない閉店後の店内は静まりかえっている。
(そういえば私誰かにアクセサリーなんて贈られた事ないな)
沙彩は少しだけ自分に嘲笑した。アクセサリーどころか恋人がいたのだってもうどれだけ前の事か思い出せない。この職場と家を徒歩で往復するだけの生活をロボットのように繰り返している自分が、真衣を笑う事などできない。
「じゃあ私が買ってあげようか?望月さんの誕生日に」
「え?」
「今からだと遠いかな。クリスマスでいい?」
「なんですかそれ。千葉さんの事好きになっちゃうからだめですよ」
「物で釣られるタイプなんだ?」
「違いますよ」
やけに低いトーンで返してきた真衣は店の隅で掃除をしている。その表情までは見えない。
「わたしが、千葉さんのこと、すでに結構好きって事です」
黒いボブヘアの襟足から見えるうなじが震えているように見えた。
真衣は背を向けたまま動かない。
沙彩は急いで売り上げを銀行の鞄に詰めると、精一杯の明るい声で真衣の背中に声をかける。
「好きって言葉はもっとかっこいい男の子に言うと効果的だと」
「興味ないです。わたし」
真衣はようやく動き出し集めたゴミを片付けると「変な事言ってごめんなさい」と笑った。誰がみても嘘くさい笑顔に少し腹が立った。
「もう電気消しても大丈夫?」
「え、はい」
店の奥の更衣室に移動して店に鍵をかける。毎日している事だ。だけど今日は意味が違う。沙彩は制服を脱ぎかけた真衣の手を掴んだ。
「えっ、えっ?」
「好きになってもいいし、誕生日だってクリスマスだって私が買ってあげる」
「何言ってるんですかもう……」
「だから望月さんの事好きになってもいい?」
「キャバ嬢に貢いでる人みたいですよ」
「……だって」
沙彩は忘れていた、長い間。人に好かれたいとか好きになりたいとか、そういう感情を。沙彩は言葉を詰まらせて真衣の手を掴んだまま俯いた。
「傷の舐め合いは良くないですよ。寂しいから誰でも良いなんて」
「……だよね。ごめんね、いい歳してこんなこと」
(ばかみたいだ、はずかしい。もう来月で退社しよう)
沙彩は急いで服を着替え、鏡に目をやるとぽろぽろと涙がこぼれていた。
「千葉さん……?」
慌てて涙をぬぐって笑顔で振り返る。
「ああ、用意できた?じゃあ警備のスイッチ入れるけど」
「待って。待ってください」
今度は真衣が沙彩の手を掴んだ。
「えと、ここは更衣室だから監視カメラないですよね?」
「え、ないはずだけど……?」
「もしわたしのこと嫌いになってもこの店やめないでくださいね」
「……え……?」
真衣はゆっくりと沙彩を抱きしめた。思わず肩が震える。
「……望月さん……?」
「嫌じゃないですか?今」
「ないけど……」
不思議と嫌悪感はなかった。沙彩は緊張してるのか汗ばんだ手を真衣の背中に回す事も出来ずにぎゅっと握った。
「……別に嫌いになんかならない。三年も一緒に働いてるけど一度も望月さんの事嫌いなんて思った事ないもの」
「同僚とは意味合いが違うんです」
「ぐだぐだ言わないで。私は今望月さんにクリスマスプレゼントをあげたいって思ってるだけ。その時私を好きじゃないなら捨ててしまえばいい。年末はどうせノルマもきついからいつもなら自分に買うしね」
沙彩はゆっくり真衣の手をどけると警備会社のスイッチに手をかける。
「続きは明日にしましょう」
「じゃあわたしも!わたしも千葉さんに買いますから!」
「ふたりで買えばノルマ達成できそうね」
沙彩はクス、と笑って真衣の背中を押すと、警備が開始された店を足早に飛び出した。
「あの、予定なかったらご飯食べて帰りませんか」
銀行へ入金を終えると、真衣が言った。
「いいけど。ああ、なら新作カタログ持ってこればよかった」
「わたしもらってきましたよ」
真衣は鞄からカタログを取り出した。
「さすが」
飲食店が揃う駅前に向かう足取りがやけに軽かった。
隣を歩く同僚はどんなアクセサリーが好きなんだろう。どうやって喜ぶんだろう。考えただけで沙彩の目に映る世界がキラキラと輝いて見えた。

《了》

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GLF20のペーパーに載せたもの。
少女まんが的ほんのりで物足りない感ありますね…